『立命館大学から社会人の思い出』第2報

昭和43年機械工学科卒 上杉忠司

 

偉大な機友会に私のような若輩者が再び投稿させて頂く事、誠に恐縮ですが、現役の方の参考になりそうな思い出を少々追記してみました。

入学から学生生活Ⅱ

やっと拾ってもらった私が、立命館大学の衣笠校舎で学び始めた時、大きく2つの目標を立てて実行しました。1つは前回述べましたように優秀な成績で卒業することでした。2つ目は浪人もしましたので人間として一目置かれる成長をし社会に違和感なくソフトランディングできるよう準備する事でした。

そのため、卒業に必要な単位や資格取得に関する科目は2回生までに取得し応用科目のみ3回生でとり心のゆとりと時間的なゆとりを持つように考えました。そして、4回生は卒論と就活に専念できるようにスケジューリングしました。 その結果ほぼ予定通りに行きまして『可』を頂きそうな科目は足切りして『良』以上でまとめましたお陰で、機械学会畠山賞を頂き主席卒業を達成する事ができました。

次に人間形成ですが、大きく3つの事を実行致しました。1つめは今で言うリーダーシップやグループミーティングの先駆けとして1回生から3回生まで茨木市にある児童養護施設でボランティア活動をいたしました。元々中学の同窓による有志の活動だったので、京大、阪大、神大、大教大関関同立大など多岐に亘る大学の方達と交流する機会を得て、主として夏季林間学舎のようなキャンプの調査→計画→実行→反省と時期対策と言うP→D→C→Aのサイクルを身を持って体験することで対人能力や創意工夫の力を養いコミニュケーション力も付けることができました。

2つ目は、単にお金を稼ぐアルバイトでなく将来理工系の職場に行ってもすぐになじめる準備として精度を作りこむ会社で実務と機械の名前を体験しました。さらに、車のラインがまだ3~5分タクトだった頃に30秒から45秒タクトだったパナソニックの電気製品の組み立てラインにもチャレンジしました。まだ人材派遣法が今ほど厳しくなくて、正規社員、臨時工、アルバイト、パート全て同じ扱いですべての生活を共にすることで団体生活の先取りをできた。5Sや朝礼訓示や社訓の斉唱今日のひとこと発表も順番に回ってくるので大変だったが良い勉強になったし、松下幸之助さんの偉大さも知りました。

配属された時は何か問題が起きたり作業遅れの時は止めて班長を読んでくださいと優しく言われたが、3回/日以上にもなると恐ろしい勢いで『お前はばかか?』『同じ事が起きないようにどうしたらよいか考えろ』と今の時代ではパワハラ問題になりそうな事も体験し忍耐力の醸成もした。結局ワイヤーハーネスを保護するゴムのグロメットをはめ込むのがうまくできずに、休憩時間や昼休みの時間を使って遅れの挽回するのがやっとだった。自分が設計するときはもっと作業しやすい工夫をしてあげないといけないなー。感じたのでした。

3つ目はこのようにして得た知識や技能を仲間の人達に還元する事に努めました。当時は少し不景気な時期で巨大企業が大卒採用を絞っていたこともあり、大学院に進学される方も相当数おられました。自分の就活が終わった後は先生方のご要請もあって、大学院受験者の特訓セミナーを開いたり、追試を受ける人に傾向と対策を伝授したり自分がやれることはやって、確か同じ研究グループには留年者はいなかったと記憶しています。大学院にも無事合格していきました。

また前述のように授業のノートも試験に出そうな所をマーキング、ほとんど山があたっていたのでどんなに汚い字でも重宝されて感謝されたのでした。

いずれにしても、良き指導者に恵まれ、良き仲間にも恵まれ本当に幸せな大学生活を過ごせたことは私にとっては大きな財産となりました。

 

【機友会事務局より】

今回の執筆者である上杉さんから機友会事務局宛に、毎月絵手紙をいただいています。

季節感あふれる可愛らしい絵手紙に、日々癒されております。

 

 

 

 

機友会ニュースデジタル版第69回 上杉 忠司 氏(1968年卒)「立命館大学から社会人の思い出」第2報