田中道七先生と祝う平成最後の新年会

堀 美知郎

2018年12月15日、BKCにおいて機友会総会が開催された。田中道七先生のご指導を仰いだメンバーも集まっていた。話題は1つであった。田中先生との新年会であった。急遽、田中先生に連絡。新年会は1月3日に決まった。田中先生のご指導で博士号を取得した8名からアッと言う間に出席の回答があった。正月のレストランの予約は至難であった。田中先生のお住いの近くで予約可能な店として、中華料理「梅蘭」イオンモール京都桂川店を探り当てた。年齢の幅は広いが(49~68歳)、不思議なことに集まれば年の差は感じない。これが所謂「同門」と言うものか。記憶に残る田中先生との中華料理で祝う平成最後の正月となった。

田中先生との出会いは半世紀前にさかのぼる。1回生の「力学」の講義であった。高校出たての1回生にとって、田中先生の授業は衝撃的であった。結局、卒研は田中研究室を選ぶことになった。毎日のようにゼミの嵐であった。解析概論から始まり、統計学、解析力学、弾性論、ついには、量子力学シュレディンガーの波動方程式に至るものであった。専門の疲労のテキストはドイツ語であった。新年会出席者の全員が同様のゼミを受けた。英語の論文の添削は、学会帰りの新幹線の中、高いびきのサラリーマンの横で夜遅くまで続いた。「堀君、食堂車に行こう」。夜遅く、やっとご飯にありつく。当時、新幹線には食堂車があった。その時のカレーの味は今も忘れない。

田中先生は、半世紀前から大学院生を企業に帯同された。学生は、田中先生と旅館に泊まる恩恵にこうむる。翌朝早くから田中先生は読書を始める。そして「孫悟空は面白いやつだよ」と。先生の本を覗くと、多分「西遊記」であろうか、返り点もなく漢字だけが並ぶ。中国の歴史書を原文で読破されるのである。

勉学や研究において関西で最も厳しい田中研究室であった。田中研究室には、その厳しい指導に魅かれて学生が集まってきた。関西で最も厳しい指導の研究室のコンパは、関西で最もエネルギッシュなコンパであった。座布団が飛び交う中、田中先生は笑顔であった(1974年。前から2列目右から田中先生、藤谷先生、山元先生)。

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当時、田中先生は、専門の材料強度学(疲労強度)を通して「物事に挑む姿勢」を指導されていたとみる。田中先生のご尽力で(株)東芝の総合研究所(現.研究開発センター)に入社したが、敢えて材料強度の仕事にはつかなかった。ウラン遠心分離機の開発、福島第2原子力発電所の原子炉耐震設計、そして燃料電池開発部長・プロジェクトリーダーとしてエネファーム立上げの陣頭指揮を執った。大学時代の専門である材料強度に拘ることなく、エネルギーに挑むことで田中先生の教えを実践することを考えた。その田中先生はさらに大きな世界を展望されていた。東芝時代に立命館大学を訪問することがあった。産学連携が世の中になかった時代のことである。その時に田中先生は「大学も企業と連携する時代がくる。学内に企業への窓口となる事務を置く」と熱く構想を語られた。「その名前は東芝が求人活動に使っている『リエゾン』の名前を借りる」とも。四半世紀以上の歳月を経て、『産学連携』や『リエゾン』を知らない人はいない。ただ、産学連携にそうした生い立ちがあることを知る人は少ない。

そのころ田中先生は、びわこくさつキャンパスの立ち上げにも奔走されていた。1994年に開港した関西国際空港の近くに立命館スタンフォード大学を開校するのか、滋賀県に広大なキャンパスをつくるのか、2つ構想を語られた。そして、東海道本線に立命館大学の駅をつくるとの構想もお持ちであった。そうした構想がBKCと南草津駅の生い立ちであることを知る人は少ない。当時、田中先生は「個を捨てなければ『山』は動かない」と説かれた。「私利私欲を捨てなければ組織は動かず、大志も成就しない」の意味だと理解する。南草津駅周りの繁栄とBKCなどの滋賀県学園都市、更には、そこで学ぶ何万人もの学生の躍動を見るとき、四半世紀以上の月日を経て田中先生が説かれた『山』が何であったのか、その裾野を垣間見た思いがする。

40年間に亘ってエネルギー革命に携わる人間として『山』とは何かを考えることがある。隣国のモンゴル、中国の内モンゴル自治区には100万kW級の原子力発電所十万基分にも相当する風力資源がある。その数%を利用したとして、全世界の全エネルギーを賄って余り有る規模の風力資源である。水素化してユーラシア大陸全土のみならず日本に運ぶことが出来れば、エネルギー問題・地球温暖化問題は解決する。日本の総合商社そして中国のキャピタルを喚起させれば『山』は動く。ただ、田中先生の門下生でありながら、未だに「個を捨てる」すべを知らない自分がそこにいる。

かくして平成最後の新年会は終わった。

機友会ニュースデジタル版第66回 特別招聘教授 堀 美知郎 先生 「田中道七先生と祝う平成最後の新年会」