『立命館大学から社会人の思い出』

昭和43年機械工学科卒 上杉 忠司

 

始めまして、偉大な機友会に私のような若輩者が投稿させて頂く事、誠に恐縮ですが、少々思い出を書き記してみました。

1,入学から学生生活

やっと拾ってもらった私が、立命館大学の衣笠校舎に通い始めた約55年前は、まだ木造の校舎もありもちろん存心館などもありませんでした。機械工学科の実習工場もまだベルト掛けの旋盤が並んでいる薄汚い所でしたので、本当にこの校舎でちゃんと勉強できるんだろうかと思った時でもありました。

しかし、苦しい生活の中で学費を工面してくれた両親に報いるため、とにかくトップで卒業を目指し『よく学び、よく遊び、良き友を沢山作ろう』と心に決めて、実践いたしました。

当時はまだ代返がまかり通っていて、一人で5役もこなしている人もいました。優しい故藤谷、故福井先生方は皆がクスクス笑っているのを黙認されていましたが、厳しい大南、田中道、故杉本先生方はレポートを各自に手渡しで返却される事で出欠を兼ねられたので、代返はキキませんでした。

そんな中、私はまじめに出席し、ノートもしっかり取っていましたので試験の前になると全部持っていかれて、知らない間にコピーされて売り歩く人の片棒を担がされていたのでした。またそれを買った人から『もっと丁寧に分かりやすく書け』とクレームも来まして、びっくりしたのを覚えています。

それにしても、私が一目置いていた立命館の教授になられた酒井さんや富山大学の教授になられた塩澤さんのノートは字も綺麗でしたし、まとめ方も抜群に素晴らしかったから、彼らのやつにすれば良かったのにと思いました。

ともあれ、当時は同志社に負けたくなかったので、同志社と共通の教養科目担当の先生に『立命館の方が優秀な学生が多いなー!』と言って頂いた時の嬉しかった事は忘れ難く誇りに思った瞬間でもありました。

試験の間は早く終わるので、仁和寺、金閣寺、龍安寺、嵐山などに行き外国人観光客とカタコトで交流したのも良き思い出です。また体育の時間不足を補うため京都アリーナでスケートをしながら他大学の女子をナンパしたりして合コンなどで楽しんだ事も昨日の事に様に思い出します。

2、就活から会社生活

家から通えるダイハツにと思っていましたが、学校推薦でトヨタ自動車に出向くことになり、実力不足で見事に失敗いたしました。田中道先生から米国留学を進めて頂きましたが、早く社会人になりたいとご辞退し、運よくトヨタGのトヨタ車体に入社できました。トヨタの傘下ですがまだ発展途上の会社でしたので、チャレンジブルに仕事をする事が出来、技術的にもトヨタ自動車の方達と切磋琢磨することで充実した会社生活でした。

晩年には台湾での海外駐在で社長業も経験し、帰任後には同じ機友会の大先輩の会社でトップに登用頂き、本当に幸せなサラリーマン生活でしたが、それもこれも根底に『真面目で忍耐強く頑張る』立命館魂があったからだこそと感謝しています。

今は完全にリタイアして、各種OB会や機友会東海支部の役員を務めさせて頂くかたわら昔の駐在仲間や職場のOBと旧交を温めたり、趣味の絵手紙などを描きながら余生を過ごさせて頂いております。

末筆ですが、機友会の益々のご発展を祈念しまして終えたいと思います。

機友会ニュースデジタル版第52回 上杉 忠司 氏(1968年卒) 「立命館大学から社会人の思い出」