「信州上田の旅」

野崎峰男(1987年卒)

1987年に大南・坂根研究室を卒業しました野崎峰男と申します。よろしくお願いいたします。研究室の大先輩でもある津田機友会会長から依頼があり執筆させていただくこととなりました。会長からは「あまり硬く考えなくてもいいですよ。」とのことでしたので、この夏の旅について書かせていただきます。

2年前にNHK大河ドラマ「真田丸」が放映されていましたが、それに感化され今年(2018年)の夏は長野県上田市を訪れてみようと思い、8月上旬の日本全国でめちゃくちゃ熱い日が続くなか、家族とともに車で上田市を目指しました。2泊3日の予定でしたが、1日目はほとんど移動に時間を費やし、2日目に真田一族ゆかりの名所を巡ることにしました。私は京都在住ですが、上田市は信州の北部に位置しますので京都よりかなり涼しいと期待していましたが、その期待はみごとに裏切られ日中はかなりの猛暑でした。

城下町の名所はまずは城だろうと思い上田城を訪れました。真田幸村の父昌幸によって築かれた城で天守閣はもともとなく、城の周囲には現存する西櫓(やぐら)、昭和と平成に復元された北櫓、南櫓、東虎口櫓門があり、その門はよくテレビ等に出てくる上田城の顔とも言えるものでした。「真田丸」のロケに使われたかどうかは記憶が定かではありませんが、旅番組なんかを見ているとよく登場する門のような気がします。東虎口櫓門の正面右手(写真では木々が覆い茂り隠れています)には真田石という高さ2mくらいの巨大な石が石垣に埋め込まれていました。この巨石は幸村の兄信之が松代に移封を命じられた時に、父の形見として持っていこうとしましたが、微動だにしなかったという言い伝えがあるそうです。とにかくこの日は快晴で暑かったです。妻も中学2年の息子も汗びっしょりでふらふらでした。この巨石を触ると日光でアチチでした。

そうこうしているうちにお昼となりお腹もすいてきたので、信州へ来たからにはそばということで、観光案内所でもらった「信州上田そばマップ」でおそば屋さんを調べて、「信州蕎麦の草笛」というお店に行きました。平日にもかかわらずお客さんで結構混んでいて席が空くのをしばらく待っていました。関西で言ういわゆるざるそばを注文したのですが、ざるではなく寿司おけのような入れ物に山盛りのおそば(写真)が出てきました。あとでお店のホームページを見てみると、普通盛りでおそばが400gあるそうです。とんでもない量で食べても食べてもおそばが減らないような気がしました。おかげでそれ以来おそばを見るとなぜかお腹いっぱいになってします。

おそばを十二分に堪能したあと、上田市のメインスリートにある「池波正太郎真田太平記館」を訪れました。30年くらい前にNHKで放送されていた時代劇ドラマ「真田太平記」をみて真田ファミリーに興味を持ち、それ以降真田についての本やインターネット上での資料などを読んだりしていましたが、中でも読んでいて面白く歴史の流れがわかる本は池波正太郎の「真田太平記」でした。「真田太平記」は、全12巻もある長編歴史ストーリーですが、これまでに計3回も読んでしまうぐらい文体にスピード感があり、ワクワクする内容でした。歴史的事実よりも著者の創作の部分がかなりのウエイトを占めていそうですが、4回目を読み始めようかどうか考え中です。「池波正太郎真田太平記館」では「真田太平記」の手書き原稿や取材ファイルを展示していたり、小さなシアターもあり、そこでは真田が徳川軍に2度勝利したという「上田攻め」や「大坂夏の陣」、「城下町上田」などのビデオが上映されていました。「真田太平記」ファンにはこたえられない展示の数々ではありましたが、うちの妻と息子はふぅ~んという感じでした。

2日目の最後に上田市の郊外にある別所温泉の外湯へひとっぷろ浴びに行きました。この温泉も「真田太平記」の中で、真田幸村とその配下である女の草の物(忍者)との情報のやり取りの場としてよく登場してきます。別所温泉の歴史はかなり古く日本武尊が東征の折りに発見されたという説があるそうです。この温泉には外湯が3か所(石湯、大師湯、大湯)あり、今回はその中の「石湯」へ行きました。外観は古い銭湯のような感じでしたが、風呂の壁は露出した大きな天然石をそのまま使っており、まさに「石湯」という名前そのものでした。お湯は少し熱めの単純硫黄温泉で飲泉もでき少し飲んでみたところ、例の卵の腐ったような硫黄の香りでした。「真田太平記」に度々登場する別所温泉ということで「石湯」の前には池波正太郎直筆の石碑(写真)が立っていました。

3日目は京都まで400km近い道のりをひたすら帰ることにしました。ほとんど高速道路での移動でしたので距離の割には早く移動ができたように思います。今回かなり遠方への旅行でしたが、真田一族ファンの私にとって収穫の多いものとなりました。妻や息子にとってはどんな感じだったのかはあまりわかりませんが。。。

機友会ニュースデジタル版第48回 野崎 峰男 氏(1987年卒)「信州上田の旅」