「卒研を懐かしむ」

京都支部長 井波 元良

機友会、京都支部支部長の井波です。昭和473月卒業です。 今日は学生時代、とりわけ4回生での思い出を書かせて頂きます。何分 半世紀近く経っておりますので話が前後したり私の都合の良い様に変わっている事も有るかと思いますが、広く軽い気持ちで深く考えずにお読み頂ければと思います。

 私が大南研究室の大村先生のグループに入る事が決まったのは3回生の後期試験の終わった当日、確か2月の初旬だったと思います。研究室に初めて行った時でした。その時大村先生から「今日から先輩方(4回生)の実験の手伝いをしなさい」との事。私は慌てました。「えっ、今日から?」実は翌日から1週間程スキーに行く事になっていたからです。大村先生に頼み込んでなんとか許して頂く事が出来、スキーを楽しむ事が出来ました。しかし、帰ってから厳しい現実が待っていました。先輩の実験のデーターを取るため連日夜遅くまで研究室に残る事になったのです。「なんでこんなしんどい研究室に入ったんや」と同じグループの井本君、猿沢君と嘆いたものでした。でもお陰で早く実験にも慣れる事が出来、後になって感謝したものです。

 ここでその卒研の内容ですが、高静水圧下での圧縮試験と言うものです。最終的に3000/?の高い静水圧下で、結晶構造の異なる亜鉛、アルミニュウムを圧縮して、その時に静水圧がどの様に影響するのかを考察し、塑性力学のSiebelの式の中の定数「C」の値を求めると言う高度(?)なものでした。

この実験のポイントの1つが、圧力室内の圧力をいかにコントロールするかと言う事です。

先輩の手伝いをさせて頂いてそのノウハウを教えて頂きました。材料を圧縮して行くと圧力室内の圧力が高くなって行くので、圧縮中何度かバルブを開けて少し圧力を抜くのです。圧力を抜き過ぎるとその時点で実験はstop。何とも見事な職人技でレバーを調節するのです。(この技術が一番上手だったのは井本君だったと記憶しています。)

さて、3月に入ってやっと先輩の卒論も完成しました。今度は私達の番です。先輩の手伝いを沢山したのだから、もう少しだけ研究が進めば私達の卒論はO.K.と簡単に考えていた時、大村先生から私達の研究に国から補助金が出ると知らされたのです。もちろん有難い話ですが、その分もっと実験を深く進めなくてはならないとのお話がありました。軽く考えていた私達3人は、改めて大南、大村研究室の厳しさを味わう事になったのです。

 でも、苦労すれば知恵も出るものです。圧力コントロールに苦労していた私達はこの際、圧力調整装置を作ろうと考え、工場の方の指導を仰ぎながらその装置を作ってしまったのです。そのおかげで圧力の変動による影響を少なくする事が出来、より正確なデーターを取る事が出来る様になりました。

 話は変わりますが、夏休みに研究室で合宿に行こうと言う事になりました。院生、学生、約20人で信州の美ケ原高原に行ったのです。1日目はトヨタの工場を見学させて頂き、製造ラインのすぐ近くまで行く事が出来、トヨタで活躍されている卒業生の方の説明で詳しく見せて頂きました。翌日は松本に移動し美ケ原高原の中を歩いた様に思います。その行程に大南先生も来て頂き一緒に歩かれました。さすがにその時はお疲れになったご様子でした。その夜はキャンプファイヤーで盛り上がり、学生時代最後の夏休みの良い思い出となりました。特にこの中で忘れられない思い出となった方が2人(私の記憶が正しければ)おられました。

 さて、秋となり大村先生から今度の学会で発表したいからデーターを揃えて下さいとのお話が有りました。ところがその頃なぜか装置の機嫌が悪く、データーを取れない日が続いたのです。見るに見かねてある夜、大南先生が研究室に来られました。一通り現状を説明し終えた時、大南先生から信じられない一言「何をしても上手くいかない時、その時は御神酒を入れるんや」まさか、圧力室にお酒を入れる訳ではない事ぐらいは私達にも理解できます。それで、急いでお酒を買いに行きその夜は皆で酒盛りになったのです。

 さて、一夜明けまた実験が始まりました。なんと不思議な事でしょう、その後の実験のデーターが上手く取れる様になったのです。それで、大村先生にも学会で無事発表をして頂く事が出来ました。

そんな事が続いて幸い装置も機嫌よく作動してくれ、追い込みも功を奏して卒論を無事に期限に提出する事が出来ほっと一安心と言う時に、この実験を機械学会の学生の部で発表しなければいけない事になり、慌ててスライドを作り発表用の原稿作りをする事になりました。そして3月の中頃だったと思います。大阪大学の千里山キャンパスで研究発表のチャンスを頂きました。ここでまた問題が、前述の定数を求めるところで私達の計算ではC=0.1となりましたが、事前の先生方との打ち合わせでこの発表の場で断定するには大胆だと言われました。悩みました。行きの阪急電車の中でも迷っていました。その時同じグループの井本君から「我々が一年間、万全を尽くした結果やから自信をもって言い切ろう」と勇気をくれて、C=0.1と言い切りました。幸い反論も無く15分間の発表を無事終える事が出来ました。これでやっと目出度く卒業です。

 卒研の一年が4年間の中で最も充実していたと今でも思います。御指導頂いた大南先生、大村先生に改めて感謝申し上げます。また、機友会でお会いする事を楽しみにしております。

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機友会ニュースデジタル版第47回 京都支部長 井波元良 氏(昭和47年卒)「卒研を懐かしむ」