「機械システム系時代の回想記」

現在「立命館大学グローバルイノベーション研究機構 研究顧問」と言う長い肩書で、時々BKCに顔を出しています飯田健夫と申します。BKCが開設された1994年につくばの研究所(現産総研)から機械工学科に着任し、ロボティクス学科を経て2004年に情報理工学部に移るまでの10年間、機械システム系に在籍しました。

立命館には、秋下貞夫先生から「機械工学科にも人間工学のようなやわらかい授業や研究を・・・」というお声がかかり、当時つくばの4研究所を統合再編するという胃の痛くなる雑務を命じられていた最中であったため、二つ返事でやって来ました。人間工学研究室を立ち上げ、素晴らしい学生に恵まれ、事務方の能力は高く、他の先生のことを気にせず、自分のやりたいことをやればよく、つくば研究所時代に比べ天国のような環境でした。ただし、無条件でやって来たためか、その後の絶えることのない役職要請に立命館の厳しさも体験しました。

着任した4月、大学で教えたことのない新米先生の下に、人間工学の基礎知識(感覚生理工学など)が全くない学生たちが集まりました。パソコンや実験装置はもちろん椅子もテーブルもない実験室で「卒研何するンですか」と問われ、「・・・、まあとりあえず飲みに行こうか」で5月連休明けまで引き伸ばしたことを覚えています。設備が整い研究室が順調に回転しだしても、飲み会は研究室の伝統となり我が家は2次会の場として定着しました。

人間工学は、人と機器・システム・環境との最適適合性を作り出すための学問ですが、私の専門が心理学であるため、適合性を人間特性(身体的、感覚的、認知的特性)の面から研究してきました。学生たちも家電組み立て時の最適作業姿勢(身体的適合性)、大画面ディスプレイや3DディスプレイによるVR酔いの解明(感覚的適合性)、自動車運転中の携帯電話使用(思考や注意の分散)による事故解明(認知的適合性)などの研究を通して、設計における人間特性の必要性を学んでいきました。教え子たちが自動車、住宅設備、家電業界などに就職し、人間工学的設計に関与している姿を見ると先生冥利に尽きます。

ロボティクス学科に移ると、「人と共存するロボは人に恐怖感やストレスを与えてはいけない」という観点から、人が受ける心理的ストレスの計測も始めました。前述の身体、感覚、認知特性に加え「心」との適合性を研究対象としたのです。我々の研究室ではこれをハートインタフェースと呼んでいました。まだ心の計測法やそのデータ処理法自体が研究対象となっていたとき、ロボットアームの動きに対する心理的反応を心電、脳波、脳血流、眼球運動、皮膚温度、皮膚電位などで、また心拍変動の解析に数学的根拠も十分理解せずウェーブレット変換を適用するなど、闇雲に研究を進めました。このころから製品設計に安全性だけではなく快適性も求められるようになり、1998年に感性工学会が設立されましたが、この学会立ち上げ   記念講演に我々の研究成果も招待され、研究室の認知度を高めました。

立命に来て10年の間に、研究対象が従来の人間工学から、心との適合性を求める感性工学に広がりました。一方、琵琶湖の近くに移ったのを機会に始めたカヌー(シーカヤック)も、最初は疲れないための手とパドル、足とラダーの操作に神経を使いましたが、今では海津大崎の桜や奥琵琶湖の紅葉を湖上から眺める余裕もできてきました。趣味のカヌーも感性工学の域に近づいています。

機械システム系を離れ、また研究の一線を退いて十数年経ちますので、私ごとの回顧録になりましたことをお許しください。また、心理屋が工学系の教育・研究分野でなんとか任期を全うできたのも、多くの先生方の暖かいご支援とご理解があったからと感謝しております。ありがとうございました。

 

プロフィール

1965年 茨城大学文理学部心理学科卒

1994年 工業技術院製品科学研究所(所長)を経て機械工学科に着任

1996年 ロボティクス学科に移籍

2004年 情報理工学部開設で移籍(学部長)

2006年 退職し、特命教授(接続教育支援センター長)

2010年 再任用され副総長・副学長

2012年 2度目の退職、R-GIRO研究顧問、現在に至る。

 

機友会ニュースデジタル版第14回 立命館大学グローバルイノベーション研究機構 研究顧問 飯田健夫 先生 「機械システム系時代の回想記」