2020年7月27日、機械工学科教授 上野明先生がご逝去されました。

ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。

本来であれば、機友会で偲ぶ会を開催し、皆様とともにお別れの場を設けようと考えておりました。残念ながらコロナ禍でそれがかないません。また、いつ実施可能かも見通しが難しい状況のため、上野明先生と関わりのあった方々に追悼文を寄せていただきました。皆様と上野明先生を偲ぶ時間を共有したいと思います。

長い間、本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

機友会会長 池田 英一郎

 

 

1.「上野明先生との思い出と助けていただいたこと」機友会関東支部長 小林 志好

2.「上野明先生を偲ぶ」             機友会東海支部長 堀 美知郎

3.「上野明先生の急逝を悼む」          機友会滋賀支部副支部長 武田 幸三

4.「上野明先生の出会いと思い出」        機友会兵庫支部長 福地 雄介

5.「上野明先生を悼む」             上野明研究室博士課程 上田 慎

6.「上野明先生ありがとうござました」      機友会事務局 萩 祐子

 

1.「上野明先生との思い出と助けていただいたこと」

機友会関東支部長 小林 志好

突然の連絡で驚くばかりです.いまでも信じられません.上野明先生とは私が学生の頃は恩師の田中先生の新年会でお会いすることが多く,寡黙ですが,言うべきことは言われるしっかりした方で,楽しい時間を一緒に過ごさせていただきました.

私が九州工業大学に助手として採用されたときにセラミック試験センターに見学に行った時は上野先生のお名前は有名で,その当時のセラミックスの疲労の研究をけん引されている第一人者であることをお聞きする機会がありました.

最近は,機友会関東支部総会の開催準備のために,いろいろとお世話になっていました.機友会の調整,機械系学科の先生方との調整,関東支部との調整等していただき,誠に助かりました.また,上野明研究室を卒業し,関東にでてきた後輩の紹介もしていただき,大変助かっています.

優しい人柄で,大変頼りになり,いろいろと心配りがあり,誠にお世話になりました.お会いできなくなったことが大変残念です.

今回はコロナ禍のために文書にて失礼することをお許しください.

ご家族も気を落とされていることと思いますが,お体にはご自愛ください.

 

2.「上野明先生を偲ぶ」

機友会東海支部長 堀 美知郎

7月27日、上野明先生の突然の訃報に絶句してしまいました。コロナの渦中、授業準備が大変だったのかと脳裏を過りました。上野明先生が豊田工業大学の准教授であった20年前から水素関連の研究を一緒に進めてきました。上野先生は、立命館大学に異動されてからは自宅の四日市から大学のある草津へは、柘植駅を経由して草津線と関西線を使って通っておられました。堀の実家も四日市にあり、学生時代、京都から四日市への帰省にこの路線を使っていました。立命人であって三重県人である者にとって心のロ-カル線です。堀が「草津線の電車通勤は大変でしょう?」と尋ねると、いつも「電車の旅が好きなんです」と笑顔で応えが返ってきました。亡くなられた最期の日も草津線を使われたのかと思うと目頭が熱くなります。

 

 

 

 

 

 

機友会東海支部においても色々と中心的に動いて頂きました。本当に有難う御座いました。

 

3.「上野明先生の急逝を悼む」

滋賀支部副支部長 武田 幸三

一本のメールによって上野明先生の訃報を知らされ大変驚きました。あまりに突然で、すぐ事態が呑み込めず、急ぎ他方へ問い合わせて、ようやく急逝を知らされました。年老いた私たちにとって、若く有能な人を失うことは本当に辛いものです。

私たち滋賀支部(びわこ機友会)は活性化活動として上野明先生の全面的なご協力を得て、毎年1~2回現役学生と共に企業訪問してきました。上野明先生は学生たちに慕われており、この活動の要でした。「次はどの企業にしようか」など上野明先生との打ち合わせは楽しいものでした。見学の現場では学生たちには感想文を書くよう指導し、私たちには最新の企業の内部をつぶさに見る機会を与えてくれました。添付の写真は2015.9.2にトヨタ自動車見学時のものです。上野明先生は最後列、右から5人目です。

もう一つ、私と上野明先生との特別な繋がりを思い出せます。上野明先生が多分、院生時代と思いますが、私に微細加工の相談がありました。金属疲労の研究のためテスト材に髪の毛ほど微細な人工欠陥を作りたいとのこと。若い上野明先生は無口でしたが、とても誠実な感じでかつ好青年でした。少し前に上野明先生にその話をした時、今もその研究は続けているとのことでこれまた驚きました。40年近く前のことです。また、直近の研究テーマであるエネルギー関連のシンポジュウムに参加をさせていただき、主催者としてのご活躍の様子を拝見していました。まことに上野明先生には長く、いろいろな所でお世話になってきました。このような御縁もあり、この追悼文は支部長に代り、武田幸三(副支部長)が担当しました。謹んで、上野明先生のご冥福をお祈りします。

4.「上野明先生の出会いと思い出」

機友会兵庫支部長 福地 雄介

私が上野明先生と最初にお会いしたのは今から40年も前の1980年に先生が藤谷景三先生・酒井達雄先生の研究室に卒業研究生として入ってこられたときでした。当時、私は田中道七先生・山元茂先生の研究室の博士後期課程2年に在籍していましたが、田中・山元研究室と藤谷・酒井研究室は材料強度研究室として卒研室や実験室も一緒でしたし、田中研の卒業研究生には先生のご友人が多くおられたので、日常的に先生とは接しておりました。その後、先生は酒井研究室の博士前期課程に進学され、材料強度研究室で席を並べて僅か2年間ですが研究生活を一緒に送るようになり、より親しくお付き合いさせていただくことになりました。

特に先生が博士前期課程の2年の時には、卒研生の都合で私の方が酒井研究室でお世話になることになりました。上野明先生の人柄が出ているエピソードとして思い出すのが同行させていただいたプライベート旅行やゼミ旅行です。先生はいつも乗り心地がよいからといって大阪のご実家の高級車(トヨタのクラウン)を借りてこられ、自らは終始運転手を務められたことです。往復800km以上の長い道のりを最初から最後まで一人文句も言わず、黙々と運転されていたのが印象的でした。先生は寡黙な印象とは対照的に常に皆のリーダ兼お世話役として、責任感を持って黙々と務められる姿勢は近年の研究活動や同窓会においても一貫しておられました。

 

 

 

 

 

 

 

【写真1 酒井研究室のゼミ旅行にて(1982年) 後列の右端から酒井先生、上野明先生、前列の右端が筆者】

上野明先生は博士前期課程の研究テーマとして、「人工欠陥をもつ回転曲げ試験片の疲労寿命」に関するテーマに取り組んでおられました。回転曲げ疲労試験機での長期にわたるき裂の観察と測定は非常に集中力と根気が必要でしたが、先生は日夜、黙々と実験・観察に奮闘されていました。また、人工欠陥部での応力集中値を求めるための三次元有限要素法プログラムの開発に独自で取り組んでおられ、毎晩、一人で研究室の片隅でプログラムと格闘されていたのが印象的でした。このような先生の研究姿勢は、その後の多くの研究業績の基盤となっていると思います。

 

 

 

 

 

 

【写真2 研究室にて(1983年) 左端から上野先生、筆者】

その後、上野明先生が博士前期課程を修了されて1983年から豊田工業大学に務められてからは長らく研究室の同窓会や新年会でお会いする程度でしたが、2009年に母校の教授に着任されてからご多忙の中、機友会の庶務幹事を率先して引き受けられ、兵庫支部の総会の開催にはご尽力をいただくとともに毎回ご来賓として出席いただきました。また、材料強度研究室関連の同窓会のお世話も合わせて引き受けていただており、卒業生一同は先生にずっと頼り切っていました。

この度の突然の上野明先生の訃報を知り、大変驚くとともにかけがいの無い人を失ったことは限りなく残念です。先生がご尽力いただいた同窓生の輪の発展は今後も引き継がれていくことと存じます。

上野明先生に心からの感謝をし,ご冥福をお祈りします.

 

5.「上野明先生を悼む」 

上野明研究室博士課程 上田 慎

上野明先生の研究室で,博士課程に在学している上田と申します.まず,このように上野明先生のことを思い返す,良い機会を与えていただいたことに感謝致します.

上野明先生は,自他共に認める真面目な方だったと思います.先生とはお世話になり始めてから今年で5年目でした.私が学部4回生の時から,先生は必要以上に喋らないような方でしたが,時間が過ぎるにつれて,次第に話す機会も増えていきました.

先生が60歳の年齢を迎えられたときには,私が先生に赤いちゃんちゃんこを送りますよと言うと,あっけなく拒否されたことがあります.また,生涯現役でいると宣言されて,年齢に関係なく,研究や教育に対して情熱を持って取り組まれていたのだと尊敬しました.時には60歳で職を辞めるつもりだったという話をされたことがあり,これまでの道のりが容易ではなかったと,人生の厳しさについても示されていたのだと思います.

私の研究活動や学園生活についても,先生は様々な意味で目をつけていた気がします.卒業する時に,私に対して何を考えていたのか,まとめて尋ねてみようと楽しみにしておりましたが,今となっては伺うこともできません.知識や技術,精神面においても,まだまだ御教授していただきたく思っておりましたが,このようなお別れになってしまったこと,大変悔しく思います.せめて,これまで御教授していただいたことを大切にして,私の人生に活かしていく所存です.

誠に無遠慮な文面になってしまい心苦しく思いますが,これで追悼の言葉とさせていただきます.5年という短い期間ではありましたが,とても魅力的な方でした.一部ですが,生前の上野明先生の御姿を載せさせていただきます.

1.  院生室での打ち上げに顔を出した先生

2. 卒業式典で卒業生と語ろうとする先生

3.  卒業生たちとの集合写真

 

6.「上野明先生ありがとうござました」

機友会事務局 萩 祐子

上野明先生が2020年7月27日永眠されました。

連絡をいただいた時、あまりにも突然のことですぐに事態が呑み込めませんでした。つい先日までお元気で事務室にも来られていたのに・・・と信じられない思いでした。上野先生は、立命館大学機友会の庶務幹事として卒業生、現役の学生のために大変ご尽力くださいました。

全国にある支部の総会にも時間の許す限り参加され、支部の皆様との交流を図ってこられました。ある時、上野明先生のスケジュール的に参加するのが難しいのでは?と思うことがあり「参加が難しい場合は、無理なさらないでください」と申し上げたことがあります。上野明先生は「大丈夫です。参加します。」と仰って参加されました。様々な場面でこのようなことがあり、私は、それは上野明先生の責任感の強さだと思っていました。しかし、今思うとそれだけではなかったように思います。支部の活動に参加することで、現役の学生達が社会に出た時にお世話になるだろう方々に「立命館の機械系学生をよろしくお願いします」との気持ちだったのではないでしょうか。機械系の学生が就職した時、また転勤で初めての土地で暮らすことになった時、機械系の先輩方にお世話になることがあるかもしれない、機友会の存在が心の拠り所となれば、との気持ちから積極的に参加されたのではないかと思うのです。

昨年、機友会OBOG懇談会を開催した時も、上野明先生のお声がけにより、上野明研の卒業生、現役の学生がたくさん参加して下さいました。その後、研究室で同窓会も開催されたそうで、上野明先生が皆さんに囲まれてビール片手にニコニコと微笑んでいる姿が目に浮かんできます。

また、上野明先生といえば「電車」です。先生の電車好きは有名で、機友会ニュースにもシリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話」を第1回~第9回まで投稿いただいています。

こちらに紹介しますので、是非お読みいただきたいと思います。

上野明先生シリーズ

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話①」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話②」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話③」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話④」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話⑤」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話⑥」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話⑦」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話⑧」

シリーズ「機械系教員が語る鉄道よもやま話⑨」

このシリーズは第9回で終了し、次はシリーズ第2弾として「鉄道模型編」をご投稿いただく予定でした。「鉄道模型編」はどんな内容になるのか楽しみにしておりましたので、残念でなりません。

上野明先生は、機械システム系の卒業パーティーで行われるゲーム大会の景品を毎年提供して下さいました。それは毎回、「KATO」の鉄道模型「新快速」でした。新快速とは、BKC(びわこくさつキャンパス)の学生ならだれもが利用したことのあるJR琵琶湖線を走っている電車です。通学や遊びに利用した思い出の「新快速」を忘れないでほしいとのことから、毎年学生へのプレゼントとして用意してくださり、それは上野明先生にとっても、受け取った学生にとっても思い出深いプレゼントでした。

つねに学生のため、機友会のためを思って行動してくれた上野明先生、その思いは私たちが繋いで行きますので、ご安心下さい。私たちは上野明先生の笑顔忘れません。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

2016年3月9日

(株)神戸製鋼所工場見学会(研究所、高砂製作所)技術開発本部 神戸総合研究所 玄関にて

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月26日

立命館大学機友会創立70周年記念総会・第24回定時総会 ホテルグランヴィア京都にて

上野明先生を偲んで