機友会ニュースデジタル版第99回 堀 美知郎 氏(昭和49年卒) 「古希の船出」

古希の船出

堀 美知郎(元.立命館大学特別招聘教授)

2020年、世界は新型コロナウイルス感染症の荒波に呑まれた。その2020年春、5年間勤めた立命館大学理工学部の特別招聘教授を終え、ベンチャー起業家として荒波に漕ぎ出すことを決めた。12月には70歳を迎えるが「終活」でなく「就活」である。古希の船出である。

思えば、1969年、学生運動の真っ只中(写真1)、立命館大学理工学部に入学した。大学は講義もままならない状態であった。一方で、衣笠キャンパス以学館の中庭にはギターを弾き「戦争を知らない子供たち」を歌う杉田ニ郎の姿があった。1973年、世界に第1次オイルショックの嵐が吹き荒れる4回生の時、就職でなく大学院を目指した。

【写真1 学園紛争の続く立命館大学の学生が河原町通の路上で集会(1969年)】

1979年の第2次オイルショックの中、(株)東芝の総合研究所(現.研究開発センター)に入社した。東芝では、ウラン遠心分離機、新型原子力発電所、燃料電池の開発に携わった。燃料電池開発部長としてエネファーム(写真2)の開発立ち上げの陣頭指揮をとった。

【写真2 東芝エネファーム1号機(左)と2号機(右)(2000年)】

2002年、第3次平成不況と称されたITバブルが崩壊する中、東芝から大同大学へ異動、教員の道を歩み始めた。大同大学時代には幾つかの新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクト・リーダーを務めた。2015年からは立命館大学の特別招聘教授として母校の教壇に立つ一方で、経済産業省の委員として燃料電池ドローン(FCD、写真3)の法を整備し、FCDの飛行を可能にした。

【写真3 飛行を可能とした燃料電池ドローン(2020年)】

そして、今年2020年、起業家として名古屋市守山区に事業拠点(写真4)を置いた。東芝でサラリーマンとして20年間、大学の教員として20年間、そして20年間の起業家を目指す。新型コロナウイルス感染症の嵐が吹き荒れる中、70歳を迎える人間として「終活」でなく、教え子と共に「就活」である。古希の船出である。

【写真4 著者が創立したベンチャー企業が開発拠点を置く名古屋先端技術連携リサーチセンター】

世界は新型コロナウイルス感染症の真っ只中にあるが、一方で、著者が40年間近く携わってきた水素・燃料電池の技術は巨大な市場を目前にするまでになった。中国の太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーは世界の50%のシェアを占める。しかし、送電ロスによってその長距離移送には限界がある。こうした再生可能エネルギーからの電気を電気分解によって水素エネルギーに変換し、燃料電池トラック・燃料電池バス・燃料電池自動車の燃料として使用する動きが本格化してきた。数百兆円とも言われる市場規模である。世界恐慌以上とも言われるコロナウイルス・ショックの中の船出ではあるが、目指すはエネルギー大変革のビジネス・チャンスである。

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